TOP   アセロラ栽培について   製造工場・行程   なるほど!ビタミンC辞典
健康食品に人一倍の情熱を注いだ先代社長・大穂森平。知人から紹介されたアセロラの天然ビタミンCに一目ぼれし、「本当にカラダに良いものをつくりたい」という思いを胸に、南国・石垣島に渡り、事業展開へと進みました。
 
1995年(平成7年)
石垣島アセロラハウス落成
 
初めに原料となるアセロラを栽培してくれる農家さんを探します。当時、石垣島でビワの栽培をしていた、現在の契約農家さんに依頼しますが、ほとんど普及していないアセロラ栽培は手探り状態。不安で一度は断られたものの、大穂の健康への熱い思いに説得され、ついに「アセロラ生産組合」が設立しました。

早速、栽培環境を整えるため、本社(福岡・北九州)より従業員が石垣島へ出張し、契約農家さんと共にアセロラ栽培用の鉄骨ガラスハウスを建設。
そして二棟が完成し、一棟あたり約850本のアセロラの栽培を開始します。
 
 
1997年(平成9年)
石垣島アセロラジュース工場 新築落成
 当初、アセロラは本土での加工を予定していましたが、痛みが早く青果での流通がむずかしいため、地元(石垣島)での製造に変更し、工場の建設を開始します。アセロラハウス同様、本社より従業員を派遣し、地元の建設業者や本土の設備会社などと共同で工事を進め、同年、アセロラジュース工場が完成しました。また、その頃には試験的に栽培をしていたアセロラの収穫もはじまり、原料確保もすることができました。
1998年(平成10年)
「アセロラジュース」製造・販売開始 
開発にあたり、アセロラのビタミンCを余すところなく利用できないかと、種を砕き、ペースト状にする設備も導入しましたが、口当たりやのど越しなどに問題があり断念。その後、数々の試行錯誤の末、現在の果肉感のあるジュースが完成。また、容器の選別も重要で、果物ジュースでは珍しい”アルミ蒸着パック”を採用 。コストはかかるものの天然ビタミンCを守るためには最適な素材で、現在でも使用し続けています。そして同年、アセロラ100%ジュースとして製品化され、販売が開始されました。
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地元紙:八重山毎日新聞より
(1998年8月18日)
「アセロラ100%」 の歴代デザイン
初代:白をベースにレインボーカラーの商品名。 カラフルで人目を惹く鮮やかなデザイン。 二代目:商品名が「アセロラ100%」に変更になり、一般的なアセロラの”赤”ではなく、早摘みで完熟する前のピンクを基調したデザイン。 現在:先代のピンクを踏襲し商品名をスタイリッシュに変更。アセロラの写真を大きく掲載し、自然をイメ ージしやすいデザイン。
 
 
                     
 
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